大本山千手院

信貴山最古の千手院

6世紀半ば、聖徳太子が「信ずべし、貴ぶべき山」の信貴山と称してこの地に堂宇を建立してから、平安期後期に千手院護摩堂が中興の祖・命蓮上人に開かれました。その後、天正五年(1572)、松永久秀の兵火で信貴山の堂塔六十余宇が炎上した時、本尊の毘沙門天像を守ったのは千手院の僧・快信上人です。「千手院代々記」によれば、快信は本堂の焼け跡に仮堂を建てて本尊を安置。さらに信貴山千手院を再建したと伝えられます。

ゆえに当山の開祖は「聖徳太子」、中興開山は「命蓮上人」、中興元祖は大阿闍梨「快信上人」となります。

大本山千手院は信貴山内で最古、由緒ある塔頭(たっちゅう)寺院です。塔頭形式とは、一つの本堂を多くのお寺(子院)が兼用する寺院形式をいいます。

なかでも千手院は代々の信貴山寺の住職の住坊で、その弟子が玉蔵院、成福院の各塔頭に派遣されていました。そのさまは「信貴山雑記」において「千手院は信貴山の総本家なり」と記されています。快信上人から数えて第6世・快誉の弟子、覚如が玉蔵院初代住職となり、第10世・快清の弟子、快栄は成福院を復興しました。

また、第17世・真弘は信貴山真言宗初、後七日御修法の大阿闍梨を勤め真言宗長者になり、第18世・現貫主の真瑞は、信貴山真言宗前管長・朝護孫子寺前法主です。

護摩堂は毘沙門天王、観音堂は十一面観音、銭亀堂は銭亀善神、大悲閣は千手観音をお祀りしてます。今日まで欠かさず毘沙門護摩の秘法が厳修されています。

信貴山千手院は大般若祈祷と毘沙門護摩を修し、毘沙門天王への様々なお願いごとをお祈りする根本道場であり、参拝者が泊まれる山内最古の宿坊です。