毘沙門天王

毘沙門天王の縁起

毘沙門天王は仏様と須弥山(しゅみせん)の北方を守護する四天王の代表です。本来は宇宙の根本仏たる大日如来の同体であり、迷える私たちを救済するために化身して、さまざまなご利益を授け、守護されているのです。

毘沙門の名は「全てのことを一切聞き漏らさない智慧者」の意味を持ち、多聞天とも称されます。仏様の言葉も衆生の言葉も等しく聞き届けてくれる事を意味します。

千手院護摩堂毘沙門天王像

ご真言は「おん べいしらまんだや そわか」

心が落ち着くまでとなえると、不思議なご加護があります。真言は不思議なり。観誦すれば無明を除く(弘法大師『般若心経秘鍵』)とくに勝負ごとと財運福徳に強いご利益があります。

毘沙門天王の御姿

当山の毘沙門天王は古来より「信貴山型の毘沙門天王」と呼ばれております。

右手:如意宝棒

毘沙門天王のお姿には、軍神として戟(ほこ)を手にした鞍馬型があります。信貴山の毘沙門天王は密教の教えを表し、仏教の第一歩である「殺すなかれ」の教えにより、慈悲の心で悪心を祓い、善導する如意宝棒を携えています。如意宝棒の頭には、如意宝珠という、衆生の願いのままに物心両面の宝を生む珠がついています。

左手:宝塔

この宝で飾られた塔の中には、すべての経典が収まっています。また、大日如来の真理の世界の象徴するものです。

頭:忍辱で固めた甲

どのような逆境にあっても腹を立てず、己の敵に対する怒りをも抑制するまでの忍耐を表します。

胴:大悲で固めた鎧

大悲とは「大いなる慈悲」のことです。これは悪魔が最も恐れるものであり、いかなる魔の者も大慈悲の心の前には降伏します

足元:藍婆、毘藍婆

悪魔(天邪鬼)を足元に踏み、悪を退散させるという強い決意を表します。

吉祥天女(きちじょうてんにょ)、善膩師童子(ぜんにしどうじ)

信貴山の毘沙門天王は、必ず奥さんの吉祥天女と子どもの善膩師童子の三尊で祀られています。家庭の円満こそが人間の幸福の第一歩であることを象徴しています。

吉祥天女

吉祥天女は左手に宝珠を持ち右手は与願印

善膩師童子

善膩師童子は宝篋を持つ

毘沙門天王への偉人の信仰

毘沙門天王は古来より多くの偉人たちからも信仰されてきました。

皇子:聖徳太子

信貴山に堂宇を建立し、自らが毘沙門天王を祀りました。

天皇:醍醐天皇

信貴山中興命連上人に病気平癒祈願を修されました。国宝信貴山縁起絵巻「延喜加持の巻」に記されています。

天皇:後白河天皇

信貴山の毘沙門天王を深く信仰し、参詣の書状も残されています。国宝信貴山縁起絵巻にも深く携ったと言われています。

征夷大将軍:坂上田村麻呂

東北の各地に蝦夷討伐と鎮護国家のため、数多くの毘沙門堂を建立しました。

武将:源義経

毘沙門天王を熱心に崇拝して勝利を収め、壇ノ浦の合戦で平家を滅ぼしました。

武将:楠木正成

母が子授けを願って信貴山の毘沙門天王に百日間詣で、その御利益で生まれたといわれます。当山には数多くの遺品や文書が残されています。

武将:武田信玄

父の信虎から毘沙門天を信仰。信貴山に祈祷を依頼し、返礼の寄進状も残されています。

武将:上杉謙信

軍旗に「毘」の文字を掲げ、春日山城には毘沙門堂を建立して祈りを捧げました。

武将:松永久秀

信貴山城を築くが織田信長の軍勢に敗れ、その兵火で朝護孫子寺も炎上。直筆の寄進状が残されています。

武将:豊臣秀頼

「信貴山雑記」には片桐且元が普請奉行で本堂を再建し、秀頼の勅願寺にしたと記されています。

武将:徳川家

三代将軍家光から庇護を受け、特に五代将軍綱吉の生母である桂昌院殿から諸々の寄進を受けました。