信貴山朝護孫子寺

信貴山の縁起

6世紀半ば、聖徳太子が排仏派の物部氏を討ち果たした後、自ら刻んだ毘沙門天王の像を勧請し、この地を「信ずべし、貴ぶべき山」の信貴山と称して堂宇を建立したのが始まりと伝えられています。

現在は本堂と塔頭3院ですが、命蓮上人(みょうれんしょうにん)が醍醐天皇より朝護孫子寺の勅号を賜った10世紀初頭には、山内に66の塔頭(たっちゅう)寺院を擁し寺勢を誇ったと伝え得られています。

幼少の聖徳太子の前に顕現した毘沙門天王は、6世紀における蘇我氏と物部氏の戦いの折に再び現れ、蘇我氏の軍を率いる太子に戦勝の秘法を授けました。これにより劣勢にあった蘇我軍はみごと物部守屋討伐に成功しました。

毘沙門天王は軍神だけではなく、財宝福徳や仏道修行の守護神としても人々に信仰されてきました。人間界の直上に立ち、我々に最も身近な存在です。

この信貴山は、毘沙門天王が日本で一番初めに降り立った霊地です。

毘沙門天王は寅の年、寅の月、寅の刻に聖徳太子の眼前へ降臨したと伝えられています。これにちなみ、信貴山の各所で様々な佇まいの寅鎮座しています。

12年に一度訪れる、寅の年、寅の月、寅の刻が重なる時を信貴山では「三寅の福」と呼び、聖徳太子が祀った奥秘仏本尊の開帳や、毘沙門潅頂を始めとした全山挙げての法要が執り行われます。

毘沙門天王を筆頭に、空鉢護法 剣鎧護法 銭亀善神 貧乏神除け宇賀弁財天など神秘に彩られる信貴山の伝承。命蓮上人や覚鑁上人、快信上人などの高僧が現代に残した教えと足跡。

信貴山はそのすみずみまで、霊験あらたかな神仏が集う場所です。

聖徳太子像

三寅像