信貴山最古の宿坊 金運招福 銭亀善神のお寺

毘沙門天王について

 

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毘沙門天王の縁起


毘沙門天王は仏様と須弥山(しゅみせん)の北方を守護する四天王の代表です。本来は宇宙の根本仏たる大日如来の同体であり、迷える私たちを救済するために化身して、さまざまなご利益を授け、守護されているのです。
毘沙門の名は「全てのことを一切聞き漏らさない智慧者」の意味を持ち、多聞天とも称されます。仏様の言葉も衆生の言葉も等しく聞き届けてくれる事を意味します。

千手院護摩堂毘沙門天王像

ご真言は「おん べいしらまんだや そわか」
心が落ち着くまでとなえると、不思議なご加護があります。
真言は不思議なり。観誦すれば無明を除く(弘法大師『般若心経秘鍵』)
とくに勝負ごとと財運福徳に強いご利益があります。
詳しくは当院発行『毘沙門信仰の手引き』をご参照ください。千手院で販売しています。

千手院刊 毘沙門信仰の手引き 1500円税別

 

毘沙門天王の御姿


当山の毘沙門天王は古来より「信貴山型の毘沙門天王」と呼ばれております。
・右手:如意宝棒
毘沙門天王のお姿には、軍神として戟(ほこ)を手にした鞍馬型があります。
信貴山の毘沙門天王は密教の教えを表し、仏教の第一歩である「殺すなかれ」の教えにより、慈悲の心で悪心を祓い、善導する如意宝棒を携えています。
如意宝棒の頭には、如意宝珠という、衆生の願いのままに物心両面の宝を生む珠がついています。

如意寶棒

・左手:宝塔
この宝で飾られた塔の中には、すべての経典が収まっています。
また、大日如来の真理の世界の象徴するものです。

寶塔

・頭:忍辱(にんにく)で固めた甲
どのような逆境にあっても腹を立てず、己の敵に対する怒りをも抑制するまでの忍耐を表します。
・大悲(だいひ)で固めた鎧
大悲とは「大いなる慈悲」のことです。これは悪魔が最も恐れるものであり、いかなる魔の者も大慈悲の心の前には降伏します。
・両脇:吉祥天女(きちじょうてんにょ)、善膩師童子(ぜんにしどうじ)
信貴山の毘沙門天王は、必ず奥さんの吉祥天女と子どもの善膩師童子の三尊で祀られています。家庭の円満こそが人間の幸福の第一歩であることを象徴しています。
吉祥天女は左手に宝珠を持ち右手は与願印

吉祥天

善膩師童子は宝篋を持つ

善膩師童子

・足元:藍婆(らんば)、毘藍婆(びらんば)
悪魔(天邪鬼)を足元に踏み、悪を退散させるという強い決意を表します。

毘沙門三尊 御影

 

信貴山と毘沙門天王


信貴山は、毘沙門天王が日本で一番初めに降り立った地とされています。
6世紀における親仏派・蘇我氏と廃仏派・物部氏の戦いの折、毘沙門天王は蘇我氏の軍を率いる聖徳太子の前に顕現し、戦勝の秘法を授けました。これにより、劣勢にあった蘇我軍はみごと物部氏討伐に成功を収め、日本に仏教が広まるきっかけとなりました。
聖徳太子は仏恩に報いる為、自ら刻んだ毘沙門天王の尊像を祀り、この地を「信ずべし、貴ぶべき山」すなわち信貴山と称して堂宇を建立しました。
この尊像は12年に一度寅年の正月と二月、七月に御開帳します。
また、戦勝後の太子は四天王寺も建立し、毘沙門天王は戦勝護国に霊験あらたかとして信仰されることとなりました。

護摩の一枚札 千手院

◎毘沙門天王和讃
旧宿坊、光明院の興潮大阿闍梨が編纂した、毘沙門天王の功徳をまとめたものです。毎朝本堂でお唱えされています。
千手院刊 『信貴山毘沙門天王勤行式』から和讃を紹介します。

信貴山毘沙門天王 勤行式

☆音声ファイル 『毘沙門天王勤行式』読経 一部
懺悔文 三帰 三竟 十善戒 発菩提心 三昧耶戒 開経偈
般若心経 2:18
仏説毘沙門天王功徳経 4:45
毘沙門天王和讃    14:10
諸真言 28:12

 

毘沙門天王への偉人の信仰


毘沙門天王は古来より多くの偉人たちからも信仰されてきました。
・皇子:聖徳太子
信貴山に堂宇を建立し、自らが毘沙門天王を祀りました。
・天皇:醍醐天皇
信貴山中興命連上人に病気平癒祈願を修されました。国宝信貴山縁起絵巻「延喜加持の巻」に記されています。
・天皇:後白河天皇
信貴山の毘沙門天王を深く信仰し、参詣の書状も残されています。国宝信貴山縁起絵巻にも深く携ったと言われています。
・征夷大将軍:坂上田村麻呂
東北の各地に蝦夷討伐と鎮護国家のため、数多くの毘沙門堂を建立しました。
・武将:源義経
毘沙門天王を熱心に崇拝して勝利を収め、壇ノ浦の合戦で平家を滅ぼしました。
・武将:楠木正成
母が子授けを願って信貴山の毘沙門天王に百日間詣で、その御利益で生まれたといわれます。当山には数多くの遺品や文書が残されています。
・武将:武田信玄
父の信虎から毘沙門天を信仰。信貴山に祈祷を依頼し、返礼の寄進状も残されています。
・武将:上杉謙信
軍旗に「毘」の文字を掲げ、春日山城には毘沙門堂を建立して祈りを捧げました。
・武将:松永久秀
信貴山城を築くが織田信長の軍勢に敗れ、その兵火で朝護孫子寺も炎上。直筆の寄進状が残されています。
・武将:豊臣秀頼
「信貴山雑記」には片桐且元が普請奉行で本堂を再建し、秀頼の勅願寺にしたと記されています。
・武将:徳川家
三代将軍家光から庇護を受け、特に五代将軍綱吉の生母である桂昌院殿から諸々の寄進を受けました。

 

福を授かる 三寅(みとら)参り


信貴山では、本尊の毘沙門天王が「寅の年・寅の日・寅の刻」に御出現になられて以来、寅が三つ並ぶ時に“三寅の福”を授かると言われています。
千手院では毎年「寅の月」二月、「寅の日」「寅の刻」午前三時〜五時には毘沙門護摩ならびに大般若祈祷を厳修し、年に一度の三寅の福を授かります。また、寅の日の前日より、お籠り修行を実施いたします。
ご参加の方には三寅参り特別祈願札と干支水晶玉が授与されます。

お気軽にお問い合わせください TEL 0745-72-4481 8:30〜17:00 (17時以降は留守電対応)

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